カテゴリ: 弓道

水曜日は弓の練習日。
15:30頃からお一人様練習開始。
楽器を楽に弾く時、自然と下腹が落ち着いた感じがあるのですが、、
これを弓を引く時に出来ないか、と。これが今日の練習の題目。
あかん、何回引いても重心が降りない。
やればやるほど、そして考えれば考える程右手に力が入り、そうなると呼吸がもう薄過ぎる。
そして皆んなが来られての一緒の練習時もダメダメなまま、、う〜ん。
でも、数う本「感じたまま」引くと自然に左手から優先的に引けしっかりした感じが現れる。
感じる事と考える事は当たり前ですが大きな違いがある。
バークリーである先生が Don’t Think just feel.と言われた事がある。
弓も同じべく為されれないとと痛感しました。
とにかく、弱点は明白、さてさてこれからが面白い世界。
弓道も恐るべしですわ。
 

水曜日が休みの日は大体道場へ早く行き、一人で体配や座禅したりゆっくり弓に集中しつつ
改善点を黙々と練習。先日の練習帰り側疑問点があったのでそれを稽古。
それは胴造り、先ずの基本姿勢なのですが ここで脚、下半身に力が凝ってしまうと上半身全体がガチガチになってしまう。一から胴造りを見直してみました。やはり、此処に問題があったよう。
足の裏全体が床にピッタリと力が凝らずに乗っかっている感じになると身体の全部を感じられる。
要するに骨格が整う状態。楽器を弾く時もこれは役立ちそう。
やはり弓、やって良かった。誹らず、喜び過ぎず、一射一射、一音一音っすかね。

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久しぶりに弓の練習に!
昼間に今度録音するプロデューサーと詳しい話をして15:00から先生達がくるまでの間1人稽古。
弓道にも技術面と心の充実とがあります。 
しばらく休むとやはり技術的なところは忘れてしまいその都度一からのやり直しを繰り返してます。

が、詰まるところやはり手の内!
そこには楽器を弾く時にも大切な事。
さておき
ん。 、、、、、で自分は何がしたいんだろう?
というシンプルなクエッションが現れるのですが。
ええい!期待する気持ちを捨てる事が、それを望んでいるんだと。
自分は僕は、、、と言う事が一番の諸悪なのです。
先は多難、だけど見えた以上執着したいんです。 

今日は休み。朝楽器の練習をして、用事を済ませて
いざ、道場へ!行って参りました。
16:00 誰も居ない道場 で練習開始。
「あれっ」あれっ?と残念な射が、、、、。。。

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写真は僕の失射を嘲笑うの様に早咲き桜満開。

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先生、皆さんが来られてからもどツボ状態から抜け出せず。
でしたが、何故か「こんな日もある」と気持ちは受け入れ状態。

悪い射に怒らず良い射に喜ばず、で明日もいこ!

しかし暖かくなって来ましたね、なんかが蠢いてます。
 

今日は約半月振りに弓三昧ってきました。
16:00頃誰も居ない道場。しーんとしてなんとも落ち着く。道場を開くと空気が入れ替わる感じが 結構好きなんです。堋の整備をして的をセットして一息。
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道場の中を一人で歩く練習。そして的前へ。 始めの2本は真っ直ぐ的中。
さてこれからが練習の入り口。はじめの射を引きずったらその日の練習は無意味。
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それからは一射一射もくもくと一人稽古。
そうこうするうち19:00頃、だんだんと弓道仲間達が道場に集合。
やはり一人でやるのと皆んなで射をするのは良い意味でも悪い意味でも大きく違う。
やはり人が居るとそれを意識してしまう、けど稽古に来てる皆の「気」を頂ける。
そういう事は音楽を演奏するのも同じ。
人ありき、素直でいれる自分がある、と始めて放たれる事が出来る。
いやはや弓も最高に美しい!

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こちらが僕の通う道場。ドラマ半沢直樹のロケなど沢山の映画やコマーシャルのロケ場にも使われてます。

それはともかく僕の座右の銘である著書「弓と禅」にあるのですが、「自分では無いそれが射るという事」がある。「人間の意識の範囲内では理解出来ない事柄が自然界にはある」
ような文脈があるのですがやはり人間の思考なんてちっぽけな物。それは確実です。

「無」これはこれはほんまに「優雅」を表現出来る立文字なのかもです。

 

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